1998 GAO10月号 ライ 第101話 記念すべき製作日記の第一回目がうまいこと、101話に当たった。前回の100話記念企画で相当すったもんだがあったので 今月は静かに行きたいものだ。 しかし、いきなり、不景気な話。しばらくの間、毎月50P連載だったのがスポンサーの予算カットでGAO自体のページ数が 一折り減るということで各作家のページ数が減らされるとの話。ライも来月から50から40にまた逆戻りである。思えば50 頁を勝ち取るために、3ヶ月連続で早く入稿するなど色々、努力したのだが、全て、元の木阿弥である。ならつまんねぇ スポーンとか切っちゃえば済むことだと思うが、アレは何と言ってもスポンサー絡みの企画、とてもそんなこと出来ない相談 だそうな。 巷ではNORAが廃刊になるなど色々厳しい時代。GAOも創刊から早5年、そろそろまずいのかもしれんねー。 俺もそろそろライの身の振り方を考えておくか。編集佐藤氏曰く「またいつか50頁に戻りますよ。」とのこと。そんな時が ホントに来るのか。それまでGAOが耐えられれば、いいんだけど..次いで佐藤氏「ライ、いつも上がりが遅いじゃないで すか〜。だから他の編集からページを削れ削れと、集中砲火を浴びるんですよ〜。」と人の気分を害することばかり言う。 余計なお世話だ。 とまぁ、最初っから出鼻を挫かれシュウシュウとやる気が抜けた真鍋に更に過酷なスケジュールが襲いかかる。 そう、夏コミと新連載であるWebComicでの「プレジデント.ライラ」である。今回の夏コミはメチャクチャ 大量の新刊を出すこともあって、先月末より仕事場は大混乱であった。印刷所であるサンライズの最終〆切は8月2日。 とにかく両連載とも、それ以降でなければ手を付けられないのである。 同人の仕事は凄まじい消耗を残して締め切りギリギリに終了。 次に5日締めの「プレ.ライ」に取りかかる。20頁とはいえ、連載、第一話。当然、色々手こずって上がっ たのは何と8日である。ライの最終〆切は19日。あと11日で50頁を完成させなくてはならない。しかもその11日の 中には夏コミと、松本零士漫画家45周年記念コンサート「幻想軌道」で2日抜けることを計算に入れて置かなくてはならな かった。当然のことだが、担当佐藤氏からの悲痛な催促の電話が頻繁にかかる。彼は営業出身のせいかどうかは知らないが 自分の入稿スケジュールから作家の進行状態がずれるとパニックを起こすようだ。「頭32Pを16日まで、残り18Pを 19日までにお願いします!」無茶を言うなって。16日はコミケ当日だぞ。とにもかくにもネームに取りかかる。 今月のライは五丈軍の南天侵攻の序章である。主要場面は五丈軍対南天国境要塞群との攻防シーンである。真鍋は火砲マニアで 特に要塞砲とか海岸砲とかが大好きである。昔、「ナバロンの要塞」とか「トブルク攻略戦」とかの要塞砲のシーンなんかに 惚れ惚れした経験がある。駄作だった「203高地」も28サンチ榴弾砲のシーンは圧巻だ。とにかく、好きな要塞砲の 登場する回だ。自然と力も入る。 頭は龍諸と英真の会話のシーン。えーい、邪魔くさい、と、さっさと流す。まだこの後、 英真にどんな運命が待ちかまえているか、作者自身決めかねているので、深入りさせるのは物語の進行上危険であろう。こう やって先送りすることも連載の秘訣である。その後来る場面は師真による将の振り分けシーンである。せっかくだから各将に 適当にえらそうな官職名を付けてやる。後でこのシーンに担当から横やりが入る。彼の言うことには技術屋である装白が将 なのはおかしいとのこと。一々説明するのもおっくうなので、その場は適当に回答しておいた。次に師真が各将に侵攻ルート の説明に入る。弾正の侵攻時には全軍一塊りの進撃であったし、正宗、羅候にもそれを踏襲させていたが、今回は初の雷自身 の侵攻作戦と言うことと、各将の個性を出したいので侵攻ルートを5つに分けた。その方がよりリアルだろう。ルート上の 地名は全て日露戦争時の清国の地名。なんだか以前使ったような気がする地名もあったが目をつぶることにした。見開きで 侵攻地図を載せることにしたが描くのが面倒なので編集部に作図を任せることにしたが、なかなか、FAXのやりとりでは 意志が伝わらない。雑誌掲載時には、やはり妙な物になっていた。コミックス収録時には直さなきゃ。やっぱり自分で描こう。 さーて、いよいよお待ちかねの要塞攻防戦だ。ここはやはりリアルと言うよりハッタリで行こう。密閉式砲塔じゃなく、城 壁上にずらっと並ぶ露天砲台だ。万里の長城のような城壁に砲が取り付けてあると思えばいい。防御上、「?」と思うだろ うがこっちの方がそれっぽいだろう。砲は短砲身の臼砲タイプと長砲身の加農砲タイプの二種類にしたのは作者の想いれ。 もっともこの時も担当からの横やり。担当さんは英語のキャノンとカノン砲がゴッチャになったようである。その他にも、 どうしてもベトンという単語を使わせてくれない。ベトンとはコンクリートのこと、ちょっとこの方面をかじったことのある 人間にとってはコンクリート製というよりベトン製と言った方が通りがいいし、耳になじんでいると思うのだが..第一ベトン の方がかっこいいじゃん。担当の言い分は読者の対象年齢は中学生ぐらいだから難しすぎるとのこと。だがそんなこと言って たらライのネームは大半が理解不能になってしまうだろう。それを言っちゃぁエルフってのも知らない人には何だか分かん ないんじゃない?結局、欄外に注釈を付けることになる。どうでもいいが、ここの編集部、こういう細かいことにはうるさい くせに、写植は誤字、脱字、ルビ打ちミスなどのオンパレードだ。何とかしてくれ。 とにかく、作画に入る。もう残された時間は一週間もない。しかし、同人誌とプレ.ライで被った疲労は想像以上だった。 ちっともペンは進まない。アシスタントは14日の夜に入れることにした。14日は例のコンサートの日でもある。プレ. ライが簡素な絵柄(タッチとか服の細かい模様がいらない)なのでライの作画の面倒臭さが身にしみる。そうこうしている 間にコンサートの日が来てしまった。宮川奏の指揮によるオーケストラ演奏など、とても素晴らしかったのだがスケジュー ルは壊滅状態に陥った。15日はコミケ販売の前日の準備で殆ど作業にならなかった。殆ど徹夜状態で16日を迎える。 担当の言ってた前半32Pの〆切日でもある。まぁとにかく一瞬だけでも仕事は忘れよう。昼過ぎには後をスタッフや友人 に任せて仕事場に戻る。本来ならアシストには16日一杯、休みを取らせるつもりだったがそんなことは言ってられない。 編集部からはじゃんじゃん電話が掛かる。32Pの仕上がりをどうこうと言うのではなく、残された18Pの作業時間が 無くなるのを心配しているようだ。 18日まで掛かってようやく、32Pが完成。そのちょっと前に佐藤氏に「かつ丼の H.Pのアドレス、欄外に載せていい?」とお願いする。これは以前、欄外に同人誌やらブース番号の紹介なんかをした ことが、現編集長の逆鱗に触れ、大きな問題に発展したことがあったからだ。元々は目次ページの作者コメントが無くなった ことに起因するのだが..コメントページが無くなったことについて、ここで詳しくは述べないが、要はまずいことを書か れないようにするということだ。とにかく、妥協として編集部の許可を得るということに落ち着いていた。アドレスを載せるこ とに担当は二つ返事でOKをくれた。「写植で打って上げますよ」とのこと。だが、このことが後でとんでもない問題なるなど 真鍋自身、この時点では思いもよらぬことだった。 32Pを上げて指先が痛くて(筆圧が高いのとペンの握り方が変なのが原因)ぐったり していると担当が白い原稿用紙を突きつけて、早く描けとの催促。あのな〜、ペンが握れなきゃどうしょうもないんだよ。 さぼってんじゃないよ。しばらくして指先の感覚も戻り残り18Pにかかる。上がったのは一日遅れの20日の夕方、原稿 渡した時点で真鍋は少しおかしいことに気付いた。アドレス載せてくれると言った割には編集部はいつまで立っても肝心の アドレス番号を聞いてこないな、なして?回答はこうだ。「事前にかつ丼のH.Pを見た。内容にスポンサーや上層部にま ずい所がある。それ故GAOとして載せられない。」〆切でキリキリしてた真鍋は完全に切れた。即座に今月中にというこ とで頼まれていた、新人賞の批評文を拒否。今後その役から降りることにした。腹いせもあるが元々、この新人賞のシステ ムが大嫌いだったので辞めるのもいい機会だと思っている。GAOって新人育てる気なんて毛頭ないもんな。最近、描き 手の数が足りないんでコミケ会場で探してるそうな。新人賞に入った有望株に何ら肥料も与えないくせに.. 最後にまたまた、原稿紛失事件が発生している。5年前、数十枚無くして、関係者の処分と多額の賠償で決着したはずなのだが 教訓は活かされず困ったモンだ。そもそも、先月の100回記念の企画で昔の原稿を使おうとして発覚したこの不祥事。 とにかく、この会社の管理能力は限りなく低いということが判明。今後は全原稿を自分で管理することにした。場所も時間も 取るいやな仕事だが、漫画家にとって命より大切な原稿を自らの手で守らねばならない。何とも情けない事である。 | |
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