事の始まり

「真鍋さん、ロシア行きましょうよ」 一月前、フィンランドやらオーストリアなどヨーロッパをウロウロしていたドクトル齋木氏からのお誘いの言葉だ。時に1997 年1月、今年2回目という大雪が東京を襲った翌日である。齋木氏とはいわゆる飲み友達、今日も今日とて齋木氏のヨーロッパ 取材の顛末やら、彼の彼女との仲の進展ぶりを酒の肴にしての江古田の居酒屋「まこと」で宴会中での事だった。 「ロシア〜?ロシアの何処ですか?ウラジオ?」 大好きな久保田が品切れとなり、仕方なく八海山をチビチビやっていた私はオウム替えしに聞き返した。 「モスクワですよ。サンクト・ペテルブルグもイイなぁ」 齋木氏は一年の大半を海外の取材旅行に費やすミリタリートラベラーだ。しかもその心は既に日本にはなく、ロシアの大平原に飛 んでいるようだった。私もサンクト・ペテルブルグと聞いてホンの少し心が揺らいだ。サンクトと言えばオーロラ号だ。あのロシ ア革命で宮殿に向かってその主砲をぶっ放したという巡洋艦オーロラ号がネバ川に記念艦として停泊しているはずだ。大艦巨砲全 盛時代のあの輝かしい頃の人類の遺産である。今、横須賀に同じように記念艦として現存している「三笠」の遠く離れた同志でもあ り、何と言っても日本海海戦の戦友でもあるのだ。ああ..あの軍艦が最も光り輝いた時代の船に乗りたい..私の心が揺れ動い たとしても、おかしくはなかろう。

しかし齋木氏に色好い返事をするには二つの壁があった。一つはスケジュールだ。齋木氏が予定しているのは7月末、ロシア海軍 記念日に合わせての日程だ。この時期は毎年スケジュールが立て込む。何と言っても夏コミの入稿前なのだ。毎年のハワイ旅行で もそうだが、〆切直後のフラフラな状態で、出かけるのは辛い。ましてや旅先に仕事を持っていくなんて事だけは避けたいのだ。 もう一つの壁はロシアという国の不信感だ。何よりも外貨、特にドルに飢えてる国家国民、治安の悪化、ホテル等設備の劣化など とても快適な旅行にならないのではと言う不安感が頭をもたげる。フラフラ状態で、そんな有様の外国に行ったらどうなる事やら.. ベテラントラベラーであり、何ヶ月も単身で数ヶ国を回る齋木氏とは違い、ハワイというぬるま湯たっぷりの旅行とは言えない海 外体験ばかりの私にとって、ロシアはやはり近くて遠い国なのだ。

「じゃぁ、手続きしておきますよ。クロンシュタットに行くんなら、それなりの手続きやら許可とかいるんで..」 ああ、そんな..齋木氏はどんどん話を進めていく。と、とにかく出発までまだまだ時間はあるのだ。それまでに段々とテンショ ンを上げていこう。スケジュールの不安を吹き飛ばすぐらい盛り上がっていれば怖い物もないだろうと..

7月25日朝.スタジオかつ丼にて

「うえ〜ん、あがんないよ〜、山下、サンライズの〆は今日やったっけ?」 修羅場である。私とアシスト4人が夏コミ合わせの同人誌の〆切に追われていたのだ。8時半に池袋で齋木氏と待ち合わせなのだ。 しかし私の机にはまだまだ片づけなくてはいけない白い原稿用紙が山と積まれていた。 「あーっちくしょう!もうロシアなんかどうでもイイや。あんな国、何もねぇよ!!」 叫べどわめけど原稿は進まない。こ、こんなにまだトーン削ったりしなきゃならんのか?うわっまだネームも打ってねえよ! 「齋木さん、お腹が痛くなるかどうかして、旅行取りやめにならないのかなぁ」 不遜な考えが頭を過ぎる。そんなことなるわけない。齋木氏は仕事で行くのだ。ここで取材しておかなくては、彼のその後の一年は、お まんま食い上げになってしまう。お遊び気分の観光の私とは動機と決意が違うのだ。まだ荷造りすらしていない。カメラと着 替えと洗面用具、後はパスポートと旅行用の書類一式、足りない物は空港か向こう行ってから買えばいいや。しかし、原稿はまだ 終わらない。ついに私は見切り発車することにした。写植貼り、ノンブル打ち、入稿を全てアシストに一任して仕事場を飛び出し たのだ。まるで今回の旅行の難行さを暗示しているか様なの旅立ちである。夏の暑い一日が始まろうとしていた。私の頭の中をさ っきまで仕事場でかかっていた999のTAKING OFFが駆け巡る。♪見慣れた昨日は振り向くなぁ〜♪

出発

齋木氏も仕事開けだった。二人してボロボロかい!成田に向かうバスの中で私は出国手続きの書類にペンを走らす。バスで空港に  行くのは初めてだ。齋木氏曰く、こっちの方が手続きが簡単とのことだが、いかんせん乗り心地が悪い。やっぱり、成田エクスプレ スですよ、齋木さん。頭がボウッとしているせいか空港での買い物など少しも出来なかった。せめてフイルムくらいは買い込んで おかないと.. 「ああ..だるいよ〜、ロシアにだってフイルムくらいあるよ。一応先進国なんだろ。それにコダックとか富士は確かニュースに出てきた モスクワの町並みに看板あったぞ」 この思い込みがロシア滞在中、ずっとフイルム不足の問題が私にまとわり付くことになるのだ。

モスクワ行きの飛行機はエアバスだった。てっきりイリューシュンとかアントノフとかのロシア機を想像していた私には以外だっ た。機内で見たアエロフロートのカタログにはその手の機体が並んでいるのだが..それもそのはず、この機はモスクワ経由のパ リ行きだった。さすがヨーロッパ、エアバスかぁ、と訳のわからん感心をしながら雲の上にと飛び立ったのだ。我々はビジネスク ラスだが殆どそこには乗客が居ない。パリ行きらしい子連れのご婦人だけだ。因みに今回の旅行費用の半分はこのビジネス料金で ある。食事もグッドだ。飛行時間は9時間ぐらい。ハワイに行くのと大して変わりがない。飯食って、酒飲んで一寝入りすれば到 着である。

モスクワ着

モスクワでは殆ど人は降りない。パーサーにホントに、ここで降りて良いんですかと確認されてしまう。そうだよ、我々は花のパ リじゃなくて、暗雲立ちこめる、このモスクワに用があるのだ。しかし降り立ったモスクワ国際空港を一望して唖然、こ、ここが本 当に大国ロシアの空の玄関口なのか?まず何と言っても暗いのである。半分も照明がついていないのだ。この暗さは後々、何とな く理解できたのだが、とにかく一見して陰気なのだ。海外旅行者が華やかに行き交う国際空港というイメージからはムチャクチャ かけ離れている。ここで持ち込む外貨(つまり円とドル)の申告をしなくてはならない。帰りにもまた申告があるらしい。外貨の 出入りはかなり厳しいのだ。空港内のツアーデスクで車の手配を頼む。あんまり人相の良くない輩がいかにも旅行者を狙ってます よって感じでウロウロしている。ようやく車がやってきた。中古のヨーロッパ車だ。ぶっきらぼうの運転手と共にモスクワ駅に向 かう。ふと見ると、車内のカーラジオは取り外されていた。盗まれたのかと思いきや、どうやらその防止のために、初めから外してあるとのこ とらしい..

しかしとにかく広い。何がって、街がだ。片側7車線はあろうかという巨大な道路が空港から駅まで殆どカーブもしないで続いて る。しかも東京のように線路や道路が殆ど立体交差しないのだ。みんな地面にへばりついている。上だ、地下だと複雑に絡み合っ た東京の道路状況とは全く違う大陸国家の首都であった。もし、ヒトラーの夢が実現してドイツ軍がこのモスクワに突入したなら ばカフカスの広大な麦畑のように戦車戦もできたんじゃないかと思う。それくらい開けているのだ、視界が。

モスクワ駅



モスクワ駅構内。
未だにレーニン象が..
壊したいけど壊す金も無しか?
それとも最近台頭著しい、
共産党への配慮か?

ここでサンクト・ペテルブルグ行きの夜行列車の乗るのだが、ここもまた陰気だ。無機質なコンクリートと間口の 小さい共産国家特有の売店が地味に並ぶ駅である。そして天井だけが吹き抜けになっているので、寂しさに輪を掛ける。ここで旅 行社の窓口から列車の切符を受け取り、ドルをルーブルに換金する。応対した中年の人の良さそうなオヤジはトヨタ、ニッサンと 連呼していた。まぁ、フジヤマ、ゲイシャよりましか?列車の出発までえらく時間があるが、喫茶店などあるはずもなく、我々は何 とか手に入れたファンタのペットボトルを持って、買い出しの大荷物を持った老人なんかと一緒にベンチにへたりこむ。もう日が 沈んでも良い頃なんだが、ロシアには白夜があるのだ。天候もあまり良くなく、やたら蒸し暑い。退屈なので駅から外に出て裏にある 商店街というか、露店のたまり場のような所に行くことにした。

駅裏

驚いた。色とりどりの良く熟した果物や野菜がてんこ盛りだ。たばこ、貴金属、飲み物、オモチャなど商品はとても豊富だ 。よく 言われる物不足なんか微塵と感じなかった。あるトコにはあるというか、金になるのが解れば物も出てくるのかと妙な感心に浸って いたら、数十人の人の行列にぶち当たった。そこでロシア流の市場経済の真の姿を見ることになる。その一団は手に手に一掴みの野 菜やたばこを持った人々である。彼らはそこで手にしている商品を現金に換えようとしているのだ。一箱のマルボロを手にし、人々 の間を歩き回る老婆もいる。その老婆も他の人々も一言も発しない。ただただ無言で立ちすくんでいるだけだった。誰かが声を掛け るまで..ロシアのように経済が崩壊した国では良く目にする光景だろう。商品はあるのだがひどいインフレで、本当に現金を持った人 間にしか、その商品を買う力がないのだ。無言で立ちつくす人々の中に老人が目立つ。そう言えば駅の周りにいた物乞いも老人が多い。 手厚い保護があった共産国家時代は過ぎ去り、年金も途絶えかけていると言うニュースを良くBSで見た。当然の事ながら他人事だっ たが、その現実を見せつけられると、ちょっと暗い気持ちになってしまった。

サンクト・ペテルブルグ行き夜行列車

おいおい、ようやく日が沈んだかと思ったら、駅のホームが暗いよ。目をこらさなきゃ、表示も見えないぐらいだ。昼間と変わらない ぐらい明々と光り輝いている日本のホームとは桁違いの暗さだ。よく見ると照明が間接照明だ。つまり、天井に向かって光を当てその 反射で周りを照らしているわけだ。この後目にする照明の殆どがこれである。もしかするとロシアやその近辺の人々には、これくらいな のが、ちょうど良いのかも知れない。昼間並の明るさを要求するのは日本を初めとするアジアの一部だけかも知れないね。でっぷり太っ た、いかにもロシアのおばさんと言った車掌が切符を切ってくれる。しかしその切符に書いている恐らく部屋番号とかが、どれだか解ら ない。齋木氏も英語とフィンランド語は堪能だが、ロシア語はさっぱりなのである。勿論、私はどれもさっぱりだが.. 「どれでもいいんじゃないんですか。こーいうの早いモン順ですよ。きっと」 とばかりに勝手に部屋に入り込んだ私達だが直ぐさまさっきの女車掌に見つかって追い出されてしまった。そしてどうにか幾つか切符 に書いている数字がベッド番号だというのに気付き、何とか自分達のベッドに潜り込むことに成功したのだった。

部屋は二段ベッドが両サイドにある4人部屋だ。ルームメイトはおそらくロシア人らしい二人連れ。私のベッドは二段ベッドの上段の 方だ。 「おお、こ、これは、どうやって登るんじゃい!」 結構高い。当然、階段など付いていない。非力な腕力で0.1トンに達するかの如くの肉のかたまりを持ち上げる。 「ああ、しんど。もう二度と降りん」 その言葉通りに、その日の疲れでぐったりしていた私は直ぐさま眠りについた。しかし落ちたら頭打って即死だぜって高さだ。思わず横 っちょの壁に付いている手すりを握りしめている。降りる側に柵ぐらい付けて置いてくれよ。ベッド自体は壁側にやや傾いているのが 転落防止の対策なのか。しかし、もし急ブレーキでも掛けられたら、その反動で絶対落ちると思うぞ。

幸い列車は何の支障もなく快適に走っている。速度もそんなに速くないためか振動も少ない。日本の新幹線の方が揺れるよね。時々、 ポイントらしき所を通るときに振動と音がするが、それ以外は問題なしのロシアの夜行列車だった。

翌日人々の話し声なんかで目が覚める。同室の二人連れは既に起きていて、何やら食事中だ。見るとサイドテーブルの上にパンとかヨ ーグルトの入った朝食セットが置いてある。例の車掌が熱い紅茶を注ぎに来てくれた。我々はそれには手を付けずに着いてからのお弁 当にすることにした。洗面所に長蛇の列。取り合えず顔ぐらい洗おう。


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